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2005年6月30日 (木)

ジキルハイド賞

何もかもインターフェロンの副作用につなげて考えるのはよくないが、仕事をしたくない気分だったので、サボってWebなぞ見ていると、リンクをたどって医薬ビジランスセンターのページに何年ぶりかでぶつかった。久しぶりに見るとなかなか面白くて、一昨年の記事だから新しくはないが、「ゴールデンピル賞」なんてのがある。日本の必須薬中の必須薬を選ぶ「ゴールデンピル賞」、有効性や安全性の評価に基本的な欠陥があり、使用を中止した方がよいくすりを選ぶ「デビルピル賞」、非常によい面と使い方によっては大きな害を起こす悪い面が出るくすりを選ぶ「ジキルハイド賞」が選定されている。個々の薬剤の選定理由もかんたんに挙げられている。後に挙げた2つの賞はノミネートだけになっている。

デビルピル賞ノミネート薬の中には、今問題になっているイレッサもある。同じノミネート薬に、高脂血症治療薬メバロチンもある。発売当時は三共の業績向上に大いに貢献したくすりとして、日経あたりで大変好意的に書かれたものだが、今ではデビルピルだ。1980年代にこんな賞があったなら、ミドリ十字のフィブリノゲンもこちらに選ばれていただろう。承認や再評価に至る経緯の不透明さ、後天性患者に対する有効性の欠陥は薬害肝炎訴訟でたびたび指摘されている。

さて、ジキルハイド賞には、我が日本赤十字社の新鮮凍結人血漿もめでたくノミネートされている。それも「特に問題薬剤」として。日赤の製品でノミネートされているのはゴールデンピル、デビルピルも含めてこれだけだ。選定理由は次のとおり。妥当な理由だと思う。見ているひとはちゃんと見ているのだ。

  1. 凝固因子が不足した患者の大量出血には必要であるが、不要な患者に使われすぎて、C型肝炎を多発させた。現在でも一定の率で感染の機会を増加
  2. 本来あるべき、凝固因子製剤の製造に回すべきものが血漿のまま使用されている。

薬害HIVのいわゆる第4ルート感染が問題になって以来、凝固因子製剤の適用の厳密化が行われ、一般の患者さんが使用できる凝固因子製剤は、新鮮凍結血漿以外なくなった。その意味では必要なのだが、「血液とウイルス対策」で書いたように、現在では最も危険な凝固因子製剤なので、使用を減らす努力は何としても必要だ。薬害肝炎訴訟で問題となっている産科DICによる大出血では、凝固因子の補充に新鮮凍結血漿が現在使われるが、最近は産科DICの発生自体が少なくなっているそうだ。薬害肝炎訴訟の被告側の証人によれば、超音波診断装置(肝炎患者もお世話になるエコーというやつ)の発達と普及で、DICの原因となる状態が早期に発見できるようになったからだという。

このところ、Blogの書き込みが1日ごとに長くなったり短くなったりしている。眠れない影響かも。今日も早く寝よう。

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2005年6月29日 (水)

眠りを妨げるもの

昨日はあまり眠れなかった。夜10時から11時くらいまでに寝てしまえば割と眠れるが、それを過ぎるとがぜん眠れなくなる。フィブリノゲンを打つと、前からそうなる。それに昨日は大変蒸し暑かったし、窓を開けていると、網戸は閉めているのに、なぜか蚊が入って、寝るのを邪魔する。小さい子供がいるので、蚊取りマットとか殺虫剤のたぐいはうちでは使っていない。電気をつけて、蚊を追いかけ、手でパッチンと潰すことになる。結局、朝まで冷房をつけっぱなしにすることになった。

寝不足はこたえる。眠いのはもちろんだが、ぐったりと疲れてしまう。今日はその分眠れるかな。よく眠れるのと眠れないのが、一日ごとに来ているみたいだ。

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2005年6月28日 (火)

フィブリノゲンを打つ

昨日は眠くて10時前に娘といっしょに寝てしまった。今日は5回目の投与だ。

出かける前、妻に「副作用はなくなったみたいだけど、疲れてるようだ」と言われるがその通り。

いつもと同じように採血し、コーヒーを喫茶店で飲んで内科へ降りると、もうすでに呼ばれたもよう。もう一度呼ばれ、診察室へ。「順調に下がってますなあ」と主治医。白血球、好中球、ヘモグロビンと、血小板以外は正常値以下になっている。しかし、この程度の下がり方なら普通だという。「ひどいと、下がりすぎて1週間でやめたときもあるしね」表を見ながら主治医は確認していたが、半減が必要な数値にはまだまだ余裕があるそうだ。

注射痕の止血の具合を診て、「ああ、筋肉まで針が入っちゃったみたいだねえ。もっと浅く入れないと。まったくすみません。フィブリノゲンも入ったし、今日はしていったらどう?」ということで、製剤投与の確認となった。この病院でフィブリノゲンを投与するのは初めてだ。フィブリノゲンは乾燥製剤を添付の蒸留水で溶かして使うが、まともにやったのでは、絶対溶けてくれない。蒸留水を人肌に暖めるのは説明書にも一応書いてあるが、製剤の方も同じくらいに暖めておかないと溶けてくれないこと、溶かすときに振ると泡ばかりになってしまうこと、静注は輸血セットで行うこと、入れる時間などを私が説明した。「昔の血液製剤といっしょだねえ」と主治医。「ええ、クリオと同じだろうと思います」と私。主治医はチーフらしき看護婦さん(しかしかなり若いんだが)を呼んで、フィブリノゲンをこの病院で初めて投与すること、昔の血液製剤と同じなので注意すること、そして私のインターフェロンの投与を注意して行うことを指示した。「昔の血液製剤」でわかってくれるんだから、この看護婦さんも大したものだ。

ウイルス定量がすでに14日に測定されていた。インターフェロン前に採血しているので、2回投与後の数値ということになる。えらく早く測ったものだ。数値は560。1/10とはいわないが、それに近いくらいに減っている。主治医は「まあ、ぬか喜びになってもいかんし、ゆりもどしもあるかもしれないから。とりあえず反応はあったということで」...って、じゃあ測るなよ(笑)。月に一回は測れるから測ってみた(笑)そうだが、しかしねえ。確かに、以前も何もしていないのにウイルス数ががっくり下がって、また測ったら元通りになったことが一、二度あるので、とりあえずは私はそういう身体なんだろうと思うことにした。なお、Blogのお仲間さんたちのリンクを見ると、5000が測定上限となっているが、私の病院の検査報告書を見ると、500が測定上限になっていて、前回の私の数値は500、つまり針振り切れ状態だった。単純に一桁少なく表示してあるのだなと考えている。今回の報告書の数値も、実際に記入されているのは56だった。

フィブリノゲンを用意する時間があるので、多少待たされた。それでも呼ばれるまで案外かからなかった。泡のあまりたっていない、まじめに溶かされたとおぼしき製剤が待っていた。さっき指示を受けていた看護婦さんが上手にインターフェロンをうち、「輸血セットはこれでいいですね」と確認。「はい、それと針は翼状針にしてください」と私。「泡がたってはよくないから、エア針もアルブミン用のにしましょうか」と言って見せてくれたのは、普通の5倍の長さはありそうな針だった。アルブミンも泡がたちやすいので、こうした長いエア針で、針先を液面の上に出して使うのだそうだ。よさそうなので今回はこれをお願いした。

滞りなく注射も済み、少し遅く病院を退出。採血痕も注射痕も、止血綿には米粒程度の血しかついていなかった。めでたしめでたし。

私の郷里の新潟県が大雨だ。実家のある地区は昨年ひどかったが、今のところ大丈夫なようだ。無事でありますように。

(追記)
上述のウイルス量に関する私の記述は間違っていたようで、藤居さんからコメントをいただいている。正しい情報は「penguin777の日記」の次のURLにあるとのことだ。
http://d.hatena.ne.jp/penguin777/20050621
これによれば、14日の測定時の私のHCVウイルス量は、検査報告書どおり56となる。

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2005年6月26日 (日)

リフレッシュ

今日は予定通り、妻と子供が育児サークルの仲間と動物園に遊びに行ったので、久しぶりにレコードなど聴いてリフレッシュできた。冷房のない自室の窓を開け、シュトラウスの『サロメ』なんて激烈な音楽を大音量で聴いた。これは先日日本橋の電気街で仕入れたカラヤン指揮の英EMI盤だが、妖しさ大爆発、身体のムフフなところから、いろんな色の汁が臭いもろともにじみ出てきそうな演奏だ。私はこういう音楽の方が癒される。EMIのレコードなのにライバル会社のデッカが技術協力したそうで、録音もアナログの魅力たっぷり。熱くなるタイプの真空管アンプ(自作品)を使っているので、暑さもひとしお、汗をかいて聴いていた。妻と子供も、大学生と女子高生のボランティアがかなりたくさんついてきてくれたそうで、楽しかったといって帰ってきた。

家族サービスで、夕飯に酢豚を作ってあげたら好評だった。

注射痕は、いじるとかえってよくないので、絆創膏を貼ったままでほおってある。まだ止まってはいないようだ。

インターフェロンを初めてもうすぐひと月。短いようで振り返ると長く感じる。まだひと月しか経ってないのかぁ。

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2005年6月25日 (土)

血が止まらない

インターフェロンの注射痕の出血が止まらないことを最近よく私は書いているが、これは血友病の患者さんではあまりないようだ。今の主治医は血友病の患者さんをよく診ているひとだが、私の状況を驚いている。今回まだ止まっていないことを言えば、もっと驚くだろう。6年前は奈良医大でやったが、このときも血液の担当医(凝固系が専門)に首をひねられた。これは無フィブリノゲン血症だけに見られる症状なのか。血小板数が落ちたからかなと以前は思ったが、今回はまだ落ちていない。血小板数が落ちたら投与をやめるとまで言われている。同じお仲間のじんさんなんかはどんな感じなのだろう。とにかく一般的な副作用の症状では全くないことは確かなようだ。

今は出血というより血混じりの汁が出ている状態で、止まったかなと思って(それにかゆいし)絆創膏をはがすと、すぐまた出てくる。これは精神衛生上非常に悪い。私でも日ごろ見たことがないような、じわじわと血が出てくるようすを見ると、がっくりくる。

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汗びっしょり

昨日は更新できなかったが、やはりぐーるぐると大阪の高槻・茨木・吹田近辺を回っていた。暑い日だったので、滝のように汗が出て、ハンカチがぬれ雑巾のようになった。こういうときにネクタイを締めていると、煙突にふたをしているようなもので、熱気が逃げず、余計に汗をかく。しかし、どかどか汗をかいてすっきりしたのか、身体は案外元気になった。元気な余勢をかって、帰りに日本橋の電気街へ足を伸ばして、部品屋をひやかしたり中古レコード屋をのぞいたりもした。

インターフェロンの注射痕から、いまだにじわじわ出血している。シャツの袖に血のしみがべっとりついてしまった。人に会うときは上着を着るので悟られないが。

今日は今日で5時まで仕事だ。これは職場の昼休みに書いている。

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2005年6月23日 (木)

ぐーるぐる

今日は出張だった。大阪の摂津の辺りのJR沿線を、荷物を持って、ぐーるぐる。私は事務職だが、たまにはこういうこともやらないといけないことになっている。明日はこれが阪急沿線になる予定。

蒸し暑く、汗をかいたので、帰りにふらふらとまた風呂屋に寄った。前にサウナで落としたときから、体重はあまり変わらないどころか、風呂から上がったらまた落ちて、15年前の若いときの水準になった。鏡に映すと、ほんとに体つきが違ってみえる。

注射と採血痕が、まだ止血されていない。インターフェロンの注射痕は内出血も起こっていて、押してみると痛むし、少し腫れている。

夕飯に妻が作ってくれたモツァレラチーズとトマトのサラダがうまくてうれしかった。酸味がきいたものが出ると食が進む。あと割に食が進むのは、バンバンさんのコメントじゃないが、そうめんとゴーヤチャンプルーのコンビだ。そうめんだけだと、ぞろぞろと胃に入ってくれるものの何の足しにもならないが、ゴーヤチャンプルーがつくと力がつくし、疲れも取れる。あの苦味も慣れるとかえって食が進む。だるいのと蒸し暑さのダブルパンチはこたえる。こんなので今年の夏を乗り切れるのだろうか。それでもなんとか食えるものがあるのはありがたい。

週末にかけて、ご当地関西はかんかん照りの真夏日だそうだ。しんどいなー。妻は日曜日、育児サークルの集まりで、娘たちを連れて動物園に行くそうで、私をひとりにしてやるからゆっくりしろという。ま、のんびりできるのはいいことだ。レコード(CDじゃないぞ)でも聴くか。久しぶりにオペラ全曲盤を通しで聴けたりするかしら。

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2005年6月22日 (水)

ああ、しんど

いやー、今日はしんどい。どういう状態かというと、わくちゃんさんが書かれていたこんな状態にたいへん近い。蒸し暑いこともあってバテバテだ。

いろいろ書きたいことはあるが、今日はこれにて失礼します。明日から2日間、出張です。出張先は近くだし、直行直帰の日帰りで2日間だから、楽は楽だが...。

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2005年6月21日 (火)

よい病院

今日は4回目の投与の日。事前検査の結果、ヘモグロビンがさらに1gほど落ちているとのこと。特に心配はないらしい。今日は肝機能も測った。上昇傾向。とはいえ、GOT38、GPT68、ガンマGTP70だから、上がったといってもかわいいものだ。主治医は治療前に「数値が80超えてたら、インターフェロンした方がいいってあなたに言うんだが...」と言っていた。まだそこまですら上がっていない。

注射痕から翌日再出血したことを言うと、「血友病の人とは、やはりちょっと違うのかねえ」と少し驚いた様子。次回までにフィブリノゲン製剤を用意しておいてもらうことになった。出血すると怖いので、採血と注射の時に貼った絆創膏は、夜もふけた今もまだとっていない。

今日インターフェロンを注射してくれたのは、スレンダーできれいな女性だった。顔と体つきに似あわぬ荒技の持ち主で、皮下注射にしては深めに針を入れるし、ペグイントロンも豪快にドカンと注入してくる。大変痛かった。それでも「ごめんねー」と笑う美人には文句を言わないのが情けない。夕方見ると、注射したところが薄く青あざになっていた。

私が今回の治療をお願いしているのは、関西医科大学附属洛西ニュータウン病院というところだ。京都府で血友病の患者さんを最も多く診ている病院で、そうした患者さんの肝炎治療の実績もあるので、こちらにお願いしているが、血友病の類縁疾患の患者は、フォン・ヴィルブラント病を含めても、私一人のようだ。ここの病院、大変よいのは、予約していないにもかかわらず、待ち時間というものがほとんどないことだ。9時過ぎに病院に入って受付を済ませると、9時30分には採血が終わっている。血液検査の結果待ちがいちばん長いので、院内の喫茶店(ここがまた、客が少ない)でのんびりコーヒーなど飲み、10時くらいに内科に行くと、程なく診察に呼ばれる。診察が終わるとインターフェロンを投与して、レベトールがあるときはレベトールをもらって、11時ころには病院をあとにできる。信じられないくらい早い。関西の名門私立医大の附属病院で、別にヤブではないのだが、規模が大学病院としては比較的小さく、近隣に大病院が2、3軒あるので、どうもそちらに患者をとられているようだ。待合もいつ行っても案外空いていて、どこかのんびりしたところがある。病院の近くに住む職場の知りあいが、その大病院に通っていたので、こちらの方が空いててよいと紹介したら早速行ったらしく、いいところだと感謝された。医師も含め病院職員の人当たりも大変よい。国公立の大学病院とは、働いている人種からして違うような趣がある。

腕がいいとか、病院を評価する項目はいろいろあるかもしれないが、待たずに診てもらえるというのは、かなり重要だと思う。こちらのさまざまな負担が格段に軽減されるのは確かだ。

今日はさすがに夕方からどっと疲れが出たように感じる。早く休もう。

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2005年6月19日 (日)

日曜日は『プリキュア』から?

私の上の娘(もうすぐ4歳)はテレビの『ふたりはプリキュア・マックスハート』が大好きだ。ただ、この番組、日曜日の朝8時30分と早いので、日曜日は特に寝ぼすけの私と妻は、娘になかなか観せてやれない。最近2週間は私も早く起きたので、娘といっしょに見たが、今日はダメだった。目が覚めるともう9時で、番組は終わっていた。それからまたうにゃうにゃと寝て、結局起きたのは11時! 昨日も寝て、今日も寝て、だ。

晩は久しぶりに銭湯に行って、風呂に入る前に体重計に乗ると、インターフェロン前に比べ3kg落ちていた。銭湯に行くと体重をこれでもかと絞るのが私のクセで、サウナと水風呂を5回ほど繰り返して2kg落とした。これくらい落とすと、前より身体も痩せて見えるし、顔もすっきりして見える。身体も軽いです。ゆだってふらふらになっただけかもしれないが...。

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2005年6月18日 (土)

血液とウイルス対策

うちの職場は、土曜日がいわゆる半ドンで、月に2度だけ交代で休みになる。私はその休みをできるだけ火曜日の通院に回したい(そういうこともできる)ので、今月の土曜日は休んでいない。今日は昼に家に帰ると、とても眠たくなって、3時間ほど昼寝をしてしまった。目立った副作用はないけれど、それなりに身体には負担がかかっているのかもしれない。

さて、昨日の記事に藤居さんがコメントをくれたが、これに答えるにはかなり長いこと書かねばならないので、こちらに書いてしまおう。

藤居さんは、
「本質的に問題に対処できない製造方法のものを作り続けている、いろいろ調査する前に使われる可能性があるということでしょうか。」
と書かれているが、基本的にはそういうことだ。
血漿はアルブミンやグロブリン、フィブリノゲンや凝固第VIII因子製剤などの原料でもある。血漿から抽出したこれらの製剤にはウイルス除去処理ができるのだが、血漿のままだと、現在の技術をもってしてもウイルス除去処理ができないので、ウイルス感染歴のないドナーから採取することになる。それでもいろいろな理由でウイルスに感染したドナーが献血をすることもある。だから、日赤はウイルスの検査をした上で献血を受け付けるが、感染の時期によってはその検査をすり抜ける場合がある。ウインドウ・ピリオドというやつだ。検査の精度も高くなってウインドウ・ピリオドもたいへん短くなっているが、それでもすり抜けたものが、こうして回収情報に出てきたり、最悪の場合使われたりしているということだ。だから、血漿輸血は今だにウイルス感染を否定できないことになっている。検査を高精度化するのは限界がある(高性能の安全装置があっても、中越地震で新幹線が脱線したのといっしょだ)から、感染を防ぐには、ウイルス検査を時期を変えて同じ献血者に繰り返しするか、輸血自体を減らしてしまうしかない。むやみに血漿など輸血してはいけないのだ。肝炎(近年はHIVも)の場合、日赤の国内血も今だに100%安全ではない。薬害HIVの時、日赤は神様か仏様のような扱われ方もされたが、こと肝炎に関する限りはそうではない。ないどころか肝炎をまん延させた片棒をかなりの割合で担いでいる。

昔はもっとひどかった。日本の血液製剤は海外の囚人や麻薬患者から買った血漿を使ったものがほとんどだったし、日本国内は国内で、献血のウイルス対策は不十分だった。医療現場でも血液や血漿を栄養剤代わりにバンバン使っていた。山崎豊子の『白い巨塔』で栄養剤代わりに血漿を輸血することを極めて肯定的に書いた個所があるが、そういう時代だった。こうしたウイルス対策に世界がやっと重い腰を上げ始めるのは、薬害HIV以後で、まだ20年も経っていない。薬害肝炎訴訟に集まってきた支援の学生さんに、「君たちのお母さんがいちばん危ないよ」と私が言うのはそういうことだ。

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2005年6月17日 (金)

日赤という存在

前回掲載した写真のバンドエイドが、さっき入浴したら剥がれた。ここは採血痕だが、めでたく止血されていた。6年前のインターフェロンは連日投与だったので、止血が追いつかず、注射できないほど止血綿が両腕にくっつき、しかたなくなってフィブリノゲンを打つことになった。今回は週に1度なので、その点よほど楽だ。他の副作用は特になし。

さて、独立行政法人医薬品医療機器総合機構が開設している医薬品医療機器情報提供ホームページというサイトがある。そこに回収情報(医薬品や医療機器等の回収(リコール)情報の一覧)という大変恐ろしいページがある。そのクラスI回収という、最も危険度の高い理由によって回収を受けた医薬品に関する情報を見ると、まるでここは日赤のサイトかと見まごうほど、日赤の血液製剤、特に新鮮凍結血漿の名前がずらりと出てくる。ドナーに肝炎感染歴か欧州滞在歴があったというのがそれらの回収理由になっている。日赤の製品がずらりと並ぶのは、ロットごとあるいはドナーごとに項目や番号を別にしているからで、他の新薬と比べ、そうした表示の点で損をしているが、それでも日赤の製品の一部がこのように感染症のリスクをいまだ持っていて、それが医療機関に納入されて、使用の一歩手前まで行ったことは事実以外の何者でもない。回収されたのならまだよいが、これが使用されたとなれば、回収どころの騒ぎではなくなるし、実際に使用された例も多々ある。

旧ミドリ十字の陰に隠れているが、日赤が今だにこうした製品を出し続けているという事実はもっと重大な問題としてとらえた方がよい。国の血液事業部会あたりでは日赤の問題は取り上げられているし、マスコミもそれなりに問題にしているが、薬害HIV問題でよほど叩きやすいのか、三菱ウェルファーマ(旧ミドリ十字)がサンドバッグのように叩かれまくっているのに比べれば、何ともかわいいものだ。三菱ウェルファーマの血漿分画製剤には、感染症が問題になるような製品はすでにない。この叩かれ方は、足を洗ってカタギになったやくざが、過去にしでかしたことを執拗にほじくられている様にも似ている。

それとフィブリノゲンのことでいうならば、現在のフィブリノゲン製剤は、原料血漿供給元の日赤が絶対に製造販売するべきだ。再評価時にこのくすりの適用を先天性患者に限定した時点で、今のフィブリノゲンは、市場原理を働かせるならば、絶対に存在しえないくすりになった。日赤に製造能力がないのなら、クロスエイトの時のように他社(今回の場合は三菱)から技術供与を受けるか、三菱に製造委託するかたちをとればよい。非営利企業の日赤がアルブミンや血友病A患者向けの凝固第VIII因子製剤などの儲かるくすりのみを作り続け、営利企業のはずの三菱ウェルファーマが全く儲からないフィブリノゲンやクリスマシンを今も作らされているというのは、どう考えてもおかしい。そこには薬害HIVや肝炎感染などの過去の行状に対する制裁の意味くらいしか見いだせない。それはそれで結構かもしれないが、そのような行為は、このくすりの数少ないユーザーが望むものからは最も遠いものだろう。

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フィブリノゲンというくすり

IMGP0606再出血した採血痕と注射痕に、上の娘(もうすぐ4歳)がお気に入りのディズニーのバンドエイドを貼ってくれた。取るとまた出血してきそうな気がして、今も剥がせないでいる。

副作用、特になし。

さて、15日の大阪の薬害肝炎訴訟では、原告の方3人の本人尋問が行われたそうだ。

同じフィブリノゲンという凝固因子製剤を投与されながらも、薬害肝炎訴訟の原告の方々と私とでは、この製剤に対する認識に本質的な違いがある。原告の方々は、このくすりを忌むべきものとしか認識されていない。効かないくすりを打たれて肝炎にまでなったのだから、それは当然だろうし、そしてもうこのくすりを投与されることなどないのだから、この世からフィブリノゲン製剤がなくなっても何の不利益も被らないだろう。しかし、私は多大の恩恵をこのくすりから受けてきたと思っているし、これからも死ぬまで使い続けなければならない。

裁判で問題となっている当時について、頻繁に使われた産科DICにともなう大出血に対して、このくすりは有効性がないうえに肝炎感染の危険性が極めて高かったとされている一方で、私のような先天性無(低あるいは異常)フィブリノゲン血症の患者は、日々起こる出血をこのくすりで効果的に止めてきた。フィブリノゲン製剤がなければ、私はすでに死んでしまっていたかどうかはわからない。しかし、今のような生活は少なくともできないだろう。私はこのくすりがなければ、「社会的な」という意味合いでは死んでいたということはいえると思う。私も以前は原告さんの尻馬に乗って、「そうだ、このくすりはひどいくすりだ」などと思っていた時期もあったが、今では、この違いの溝は埋められないなと考えている。

フィブリノゲン製剤は、現在では私のような先天性患者に対してのみ適用とされているが、もともとは一般患者のフィブリノゲンの低下に対し広く用いるために発売されたくすりだった。数少ない先天性患者への適用など、いわばついでで、私はコバンザメのように、原告の方に投与されたくすりのおこぼれにあずかってきたわけだ。もちろん今では私はコバンザメではないが、今回の訴訟の原告さんを見るにつけ、「こういう人たちのおかげで俺たちはこのくすりが使えるのか」と思うと、「アンタらはアンタら、俺たちは俺たち」とは言い切れないのが何とも複雑な気分だ。

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2005年6月15日 (水)

ありゃ出血

ほんのさっき、入浴後に注射痕と採血痕から出血。ああ、とうとうはじまったか。前回もそうだったが、インターフェロンをすると血餅がどうしても弱くなって組織にくっついてくれないようだ。

今日は少々眠いので、早く寝ます。

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2005年6月14日 (火)

3週目

本日3週目のペグイントロンの投与。白血球等の数値は戻っているが、こんどはヘモグロビンが落ちた。2gほど減ったという。主治医に貧血らしき症状はないかきかれたが、自覚はない。今日の採血の担当者はド下手で、飛び上がるくらい痛かった。そのかわりといっては何だが、ペグイントロンの注射をしてくれた人は年配のベテランで、実に上手だった。注射する部位を少しつまみ、そこへ針を刺す。先週のひとは苦労して注射薬を皮下に入れた様子だったが、今日はすっと入った。その手さばきに熟練を感じた。

今日のところは副作用らしき症状は全くない。採血痕も大丈夫だった。

ところで、明日は薬害肝炎訴訟の大阪の公判期日だ。今度から、大阪でも原告の本人尋問が始まる。この公判を傍聴しはじめて2年このかた、一度も休むことなく裁判所に足を運んできたが、これからはそうも行かなくなってきた。というのも、ペグイントロンを投与するのに週一回火曜日の午前に勤め先を休むので、これ以上休みにくくなったのだ。しかも大阪の公判は水曜日で、これは私の勤め先では休みづらい曜日でもある。上司は「佐野はまた水曜日に休んだ」と、休んだ回数まで数えて陰口を叩いているらしい。次の8月の公判は夏休みを取れるので行けるだろうが、それ以降はまた傍聴できなくなるだろう。非常に興味深い内容の裁判だけに残念に思う。

この裁判についてはいろいろ思うところもあるが、それはまた明日にでも書こう。

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2005年6月13日 (月)

まるまる2週間

ペグイントロンを始めてから、今日でまる2週間が経ったことになる。
副作用に悩んでいる方には誠に申し訳ないが、こちらは今のところ拍子抜けするくらい快適である。前回もそうだったのでそういう体質なのか、発熱は軽いし、かゆみは多少出るが、かきむしるほどでもない。眠れないのも投与した日だけだ。たくさん食べられなくなったが、そのかわり腹は引っ込んでくるし、身体も軽くなった。最近太りぎみだったので、今の方がかえって良い。夕食後に身体が重かったり、しんどかったりすることはあるが、少し横になるとすぐ治る。子供を叱ったりすることは増えたが、無理をせずに感情を出すようになったからじゃないかと妻はいう。そして、火曜日の午前中に勤めを休むようになったせいか、一週間が早く過ぎるようになった。とにかくうまくまわっている。
しかし、最後までうまく行くことはまさかあるまい。今後どのようになっていくかはわからないので、気を引き締めてかからないと。
明日は3回目のペグイントロン投与である。もうそろそろ注射痕の出血が止まらなかったりし出すのではないかと思っている。ただ、こちらも6年前と違ってフィブリノゲン製剤の安全性が飛躍的に高まったので、製剤投与をためらう必要がないのはありがたい。

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2005年6月12日 (日)

酒の話

副作用はほぼなし。
私の職場にごく小さな梅林があって、紅梅はダメだが、白梅には実がつく。勝手に採ってもいいそうなので、土曜日は収穫をした。どうも今まで誰も採っていないらしく、ただで取り放題なのはよいが、あいにく雨で、カッパを着たものの、汗もかいたし、結局ずぶぬれになった。7kgあまり採ったが、疲れました。帰りの電車で他の客が珍しそうに採った梅を見ていた。
umeこんなことをするのも、妻が育児サークルの仲間と梅酒をつくると言い出したからだ。夫唱婦随ならぬ婦唱夫随で、じゃあ職場にただであるから梅の実ぐらい採ってきてあげようと、一肌脱いだわけだ。梅の実なんか採るのは生まれて初めてだ。
採った梅の実はわが家で梅酒2瓶に漬けられた。残りは妻の仲間に分けられるそうだ。
しかし、この梅酒、私が飲めるようになるまで残っているだろうか。

インターフェロンをやりだす前は、よく飲んでいた。今回の投与に当たって、飲むのはもちろんやめた。投与が始まってある日の帰宅する途中、この治療の間に禁酒するとどの程度カネが浮くのかと、ふと思って計算してみた。ざっと30万円近く浮くという結果になった。今までよく使ってたんだなと思ったが、だからといって浮いた金は貯まらんだろうなとも思う。たぶん何かに使っているだろう。

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2005年6月 9日 (木)

平穏な一日

今日は大変過ごしやすい一日だった。
副作用といえば、少しかゆみが出ていること。
手足にかき傷ができた。
職場で突然右手の甲がかゆくなったりした。
まあ、このくらいなら...。

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2005年6月 8日 (水)

不眠?

今日の早朝3時ころだったか、寝ていると妻が部屋に蚊がいるといって電気をつけて、退治にかかった。眠りも浅かったので、それから私は目が覚めてしまった。結局朝の5時くらいまで眠れず、いつものように起きて勤めに出たが、そういえば先週、インターフェロンを投与した初日もなかなか眠れなかった。副作用に不眠というのがあったが、投与したその日は、私もなかなか眠れないのかもしれない。
手足に少しかゆみが出ている。

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2005年6月 7日 (火)

ペグインターフェロン・2回目

今日はペグインターフェロンの2回目の投与。この1週間は早かった。
病院でヘモグロビン、白血球、好中球、血小板量の検査。白血球などが多少減ってはいるが誤差の範囲程度。ヘモグロビン減らず。検査上は特に異常なし。診察時に体調をきかれる。発熱は2日目に測ったら37度だったというと、主治医は「案外上がらなかったねえ」と安堵された様子。他はどうだときかれ、「なんとなくしんどいですね」と言うと、「うーん、困ったね」
インターフェロンを予定通り投与。レベトールを28日分もらう。これがなくなったら、ウイルス量などの検査ということらしい。
前回あった、ふらふらする感じや頭痛、発熱はないが、夕食後、身体が重い感じがして少し横になる。すぐに楽になったので、一安心。
採血痕はきちんと止血されている。実はインターフェロン開始直前、つまり先々週の金曜日に右膝の打撲による内出血のため、フィブリノゲンをいつもの2g投与している。これは第VIII、第IX因子と比べ、半減期が長く、注射痕を止血する程度なら、投与から2週間くらい経っても一応効く。ただ来週はどうなるか。
インターフェロン開始から、食欲が落ちている。ある程度は食べられるが、それ以上は胃が受け付けず苦しくなる。以前の量の2/3程度を食べるのが精いっぱいといったところだ。胴回りもいくぶん細くなっている。

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2005年6月 5日 (日)

6年という歳月

前のインターフェロン投与から、6年経とうとしていると書いたが、この6年でC型肝炎の治療環境も変わったし、私自身の周囲の環境も変わった。
1999年当時は、インターフェロンといえば、アルファ型とベータ型しかなかった。アルファ型は筋肉注射で、凝固異常の患者には筋肉内出血の懸念があるので、私が使ったのは静注するベータ型のフェロン(第一製薬)だった。そしてまだ一生に一度しかインターフェロンは保険適用できなかった。高価な薬のため、患者が何回も使えば保険医療が破綻するというのが理由らしかった。
それが今ではペグイントロンが出、私はもう一度インターフェロン投与に臨んでいる。前回は最後の投与まで入院していたが、今回は週1回の通院のみだ。ペグイントロンは皮下注射なので、出血のおそれもない。難治性のタイプへの効き目も高くなり、副作用も同じか、かえって軽いという話すらある。たった6年でこれだけ変わるとは、私個人としては、まるで夢のような話だ。
私自身の環境も6年前と違う。2度目の結婚をして、2人の子供も生まれた。家も買った。せめてあと20年は生きて働かねばならないことになった。そのことだけのために人生を送ろうなどという、きとくな心持ちは、もちろん端から持っていないが。
きょうは妻が台所に棚を作ってくれというので、屋上で板を切ったり、娘たちを近くの公園で遊ばせたりして過ごした。これも6年前とは様変わりだ。
様変わりといえば、肝炎患者がインターネットで情報発信している量も桁違いに変わった。日記を再開するに当たり、少しネットを見て回ったが、肝炎患者さんたちのWebやらBlogが山のようにあるのには、浦島太郎の心地がする。だいたいBlogてぇなもんが6年前にはなかった。日記なんかを公開するのには大変便利なもんですなあ。すでにこのBlogにも反響をいただいてうれしい限りだ。皆さんこれからもどうぞよろしく。

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2005年6月 4日 (土)

病状

よく眠れた。本日も正常だが、肝臓の辺りの肋骨を押すと少し痛む。朝ばたばたして、いらついたが、これもくすりの影響か。
さて、私のC型肝炎の現在の病状について記しておこう。
6年前、インターフェロンのリバウンドで急増した肝機能の数値を下げて以来、GOT、GPT共に正常値より少し高い程度でずっと安定している。50とか60とかそんな程度の数値で、もっと低いときもある。この程度の肝機能でも、超音波検査で見ると肝臓は全く健康というわけではなく、慢性肝炎の相はいくらか見えるという。ウイルス量は多く、測定限界値を越えている。ウイルスタイプはジェノタイプでIa。日本ではまれなタイプだ。6年前はセロタイプで判定保留と出たが、なぜこうした違いが出たのかはわからない。
I型高ウイルス量という難治性パターンなので、昨年認可されたペグ+リパビリンの併用療法が適用とされたわけだが、今回はじめるに当たっては、主治医とかなり悩んだ。肝機能の数値からは急ぐ必要が全くない。Ia型ウイルスにどの程度効くか不明(外国の文献を見ても、aとbを区別して記述したものがあまりないらしい)。ウイルスが消える確率は、半分どころか1/3程度と思った方がよいと主治医は言う。一方、私は今年で40歳。年齢からすれば早く始めた方がよいのは確かだ。しかも、この先数年待った程度では、これ以上の薬はたぶん出てこないだろうとも言われた。結局ダメもとで始めることにした。この時期に始めたのは、職場の繁忙期を避けたからだ。

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2005年6月 3日 (金)

ペグイントロンをはじめる

5月31日からペグイントロンとレベトールの併用療法によるC型肝炎治療を開始した。前回のインターフェロン投与が1999年だから、はや6年が経とうとしていることになる。前回の投与時も日記を私のWebで公開したので、今回もやることにする。
最初の投与から3日経ち、身体は落ち着いた。注射したその日の31日や翌日の1日は、頭は重いし、ぼーっとするし、微熱は出たしで少々つらかったが、今は治っている。多少かゆみがあるかなあという気はするが、何ということはない。1999年の投与時も一般的な副作用は大したことなかったので、私の身体というのはこんなものなのか。いろいろ書かなければならないこともあるが、今回はまずこの辺で。

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